鹿や猪の生首(の剥製)がたくさん展示されているという珍スポットして紹介されていた、茅野市神長官守矢史料館に行ってきたのは、乾燥しきった今月の初めのころのこと。その紹介を真に受けて、珍スポット巡りのノリでおじゃまして激しく後悔した。後悔はするけど反省はしない(笑) ここは、神長官守矢家という、それこそ卑弥呼の時代から明治の初めまで、諏訪上社の神長官という役職を代々務めてきた家に保存されていた古文書の展示を中心とした資料館なのでありますよ。誰だよ、珍スポットとか言い出したのは。
入場料は100円。中はそれほど広くはなくて、ロビー的な部分にその生首や串刺しのウサギ、猪の鼻や足がずらりと並んでいる。これは御頭祭という神事の様子を、江戸時代の記録を元に再現したもの。かつては鹿の首75頭を供えていて、それを、信濃の国の各地が持ち回りで用意していたとか。上社のいろいろが地区ごとの持ち回りなのは、この辺からなのかな。
さらにその江戸時代の記録によると、神事の最中は写真の左下に写っている御杖柱(みつえばしら)に8歳の男の子が縛り付けられていて、神事が終わると開放されたが、(江戸時代よりも)昔はその男の子も生贄だったとか何とかという話もあるらしい。どうも上社は血なまぐさいというか原始的というか…こうやって見ると同じ諏訪大社としてくくられる下社と上社は全く別の神社だし、下社よりも上社の方が古いのかもなーって思えてくる。そして驚くべきは、今でもこの御頭祭が続いていること。さすがに供える鹿の首は剥製になっているし、御杖柱も祭壇の前に立てるだけになっているけれど。
古文書の展示方面へ。ここは撮影禁止だから写真はなし。見た目には地味だけど、ここまで古いものが残っている事自体が貴重なこと。織田信長がどうして風林火山以外に、諏訪明神ののぼり旗を立てていたのか…いやー、歴史ロマンですなぁ。実はずっと学芸員の方(?)がつきっきりで説明してくれて恐縮というか、地元のことをもうちょっと知ってなければいけないなと思ったのでありますよ。
資料館を出てお隣にある、守矢家をちょっと拝見。由緒正しい感じがモリモリと。右側は天皇陛下が来た時に使う玄関で、左は祈祷殿。ここは多分今でも守矢さんが住んでるからここまで。
山側にはミシャグジ社。御頭祭等々の神事では非常に重要な場所。今でもパワースポットとして人気があるみたい。
賽銭以外に鹿の角が供えてある。ここはとにかく虫だらけで、その虫の幼虫のせいなのか、建物が穴だらけ。大丈夫なんだろうか?
順路の看板にそって進んでいくと、高過庵と空飛ぶ泥船の茶室がある。これは茅野市出身の建築家、藤森照信氏の作品で、資料館も彼の設計。資料館はデビュー作で、今では海外から建物を見に来る人も多いんだって。できた当時はあんまり評判よくなかったって話を聞いたのは内緒だ。
そんなわけで、不用意に充実した時間と楽しい場所に遭遇してしまった、の報告。