ミャンマー旅行5日目(後編)~6日目~人力の国。

確かにNLDって書いてある 穏やかな年始の湖
お昼を食べたあとはアウンサン・スーチーさんの自宅前を通って、若者のデートコースだというカンドーヂ湖へ。昨日見たシュエダゴォン・パヤーが映り込んでいる。右側の大きな建物は国営のレストラン。湖の周りの公園にはちょっとした動物園もあったけど、孔雀しかいなかったなー。そうそう、アウンサン・スーチさんが今どこにいるのかは分からないんだって。

ここで専用車から降りる ここはきれいだー
ちょっと予定を変更して、昨日休みだったボーヂョーアウンサン・マーケットに行くことに。午前中の市場のあの状況が頭をよぎるが、ここは生鮮食料品的なものは一切なしできれいだし、どちらかと言うと観光客向けのおみやげ屋メインという感じで、お店の人はこちらが声をかけるまでは動かない。

ここがおそらく中心の通り がっついていない感じ
ミャンマーは金以外にもルビーとかの宝石も有名で、ショーケースにきれいに並べて売ってるお店が沢山。この後、路上でルビーの原石を売ってる人に遭遇して、見てってくれみたいに言われたけど、本物かどうかもわからないし、持ち出す(持ち込む?)のも大変だから逃げてきた。

アンテナだらけ 上海ガニ的なもの?
お買い物が済んだら、今度は中国人街やインド人街周辺へ繰り出す。確かに街の景色が今までと若干ちがう気がするけど、そこにいる人達がインド人なのか中国人なのか、あるいはミャンマー人なのかはイマイチ判別できなかった。

鶏肉専門店? きれいなのかそうじゃないのかわからない
とにかく、ここでもニオイを伝えられないのが残念というか…申し訳ないんだけどやっぱりドブ的な…おっと誰か来たようだ。

「カメラ!」という声が聞こえて(笑) 紛れも無く寿司の予感
まだまだ歩き続ける。どの通りもとにかく店だらけ。通路の反対側には露店がところ狭しと並んでいて、すれ違いできない。やっと出た広い交差点で寿司らしきものを発見。近くの有料トイレでトイレタイムなど。

煙はなにやら殺虫剤らしい バス優先とかそういうことも一切ない
ここでミャンマーのバスに乗ってみるテスト。倒れるんじゃないかと思うくらい傾いて交差点を曲がっていくバスを何台も見てるから戦々恐々。だがしかし、本当の敵はバスに乗ることそのものなのであった。ミャンマー(というかヤンゴン?)のバスに乗るには、バス停っぽいところでバスを待ちつつ、来たバスのドアのところに立ってる人が叫んでる「どこ行きなのか」を瞬間的に聞き分けて、サッと乗らないと置いて行かれる。バスの正面に書かれている文字は行き先じゃないの? 乗ってから行き先を叫んでた人が乗車賃を集めに来る。今までも薄々と感じてた「人力の国」というのを実感した瞬間。こういう部分がこれから自動化されていくんだろうか?一日中歩き続けている疲労感で、どこをどう移動してるのかさっぱりわからなかったけど、どうやらヤンゴンの中心に向けて戻ったみたい。バスから降りるときは事前に準備して飛び降りる感じで。バスがバス停らしきところで止まる時間はほんの数秒。

お店の奥 入口側
あまりにも疲れたからローカルなコーヒー屋で休憩。この店はここでコーヒーをローストして挽いているみたい。挽く前のやつを買ってくれば良かったなー。疲れすぎててそこまで頭が回らなかった。

持ち込み可 買ってくればよかったなぁ
ガイドさんが途中で買ってた小さなみかんのおすそ分けをいただきつつ、ブラックコーヒーを…ミャンマーの人はミルクと砂糖を入れて甘くして飲むみたいなんだけど、初日に普段ブラックで飲むって言ったら、ここでも気を遣ってブラックで注文してくれた。いやー、ミャンマー式でよかったのに。店内は結構暑くて、ガイドさんはなんか冷たいの飲んでるし(笑) ぼくもそれがよかったなー。

お金持ちが住んでいそう 公園の入口付近
ここからまた延々と歩く感じだったけど、奥さまのお腹の調子が良くないってことで、独立記念碑のあるマハバンドゥーラ公園でさらに休憩。ここでガイドさんといろんな話を…ガイドさんにはふたりの子供がいて、学校では数学と物理の授業は英語でやってるということを聞いてまたまた衝撃。日本大丈夫か?そうそう、ミャンマーの学校は午前中が小学校~中学で、午後から夕方にかけて高校なんだって。

ここの5階のお宅を訪問 写ってないけど奥の方に85歳のおばあちゃんとかいる
そうこうしてる内に日も暮れてきて、ついにミャンマー旅行での最後のイベント。ミャンマーの人の家におじゃまして、夕飯をごちそうになってしまう作戦。専用車で着いたところは、さっきの中国人街と似たような景色のところ。近くのモスクからイスラム教のお祈りが聞こえてきて騒々しい。8階建て以上の建物にはエレベータを設置しないといけないから、大抵が7階建てなんだとか。5階にあるそのお宅まで暗い階段を登る。あいさつをしてテーブルに座ると、お皿に載せたコップで水が。その後で料理が運ばれてきた。今まで行ったお店と同じくご飯の盛られたお皿に少しずつ取り分けていただく。それがさー、みんなで一緒に食べると思ってたら、3世代がジッと見守る中で僕たちだけが(先に)食べるという予想外の展開。全部食べてはいけないっぽい。いや食べきれないけど。写真も非常に撮りづらい雰囲気。食材はああいう市場で売られていたやつかな。魚はちょっとクセがあったけど、他はどれもなかなかおいしい。リビングのSONY製のテレビにはK-POPがずっと流れていて、ここでお昼の「なんだ、日本人か。」の意味がわかった。韓国ブームなんだってさ。

日本人がぞくぞくと 出国!
さぁさぁ、今日はこのまま空港に向かうのであります。初日のお腹急降下の時にはあれほど遠く感じた帰国の時。名残惜しいようで、でもそろそろ限界かなってのも遠くで感じつつ。最初から最後まで通しで案内してくれたガイドさんと空港の入り口でお別れ。ありがとうございました。不勉強で申し訳なかったな。予想以上に余らせてしまったチャットを空港内の店でUSドルに両替。さらばミャンマー! パワフルだけど押し付けがましくなくて、しっとりとステキな国でありました。これから外国の資本も入り乱れて、ものすごい速さで近代化しそうな雰囲気だから、今回の旅行はグッドタイミングだったな。

キンキンに冷えたトマトジュース 寒い!
帰りのANAに乗り込んでホッと一息…にはまだ早いけど、最初にもらったトマトジュースのあまりの冷たさで日本を思い出した。程なくして機内食タイムだったのに、夕飯の油にやられて食べられる状況ではなく、お断りしてしまった。もったいない。つくづく食べ物には縁のない旅だ。あっという間、4時間で成田空港に到着。日本時間は2014年1月3日の早朝。寒い。火事で山手線が止まってるとか。日本は日本で騒々しい。最寄りの駅からタクシーで帰宅。そのまま近くのラーメン屋に行ってお昼を食べたら、胃がやられていてふたりとも気持ちが悪くなったというところで、ミャンマー旅行はおしまい。

  1. 長野県の廃墟を特集するサイトを見ていたらなんとなしにここにたどり着きました。
    長野市在住の44歳です!

    実はミャンマーーに同じ時期、2013年年末から14年の年始にかけて行ってたものですから
    とても懐かしく拝見したところです。
    ヤンゴン~マンダレー、バガン、ゴールデンロックとバックパックの一人旅でしたが
    これまでの国の中で最高だったもので思わずメールしました。
    富士フィルムでフォトブック作ったところまで一緒でした!

    縦書きのカレンダーも買いましたし、アルミの縦三段の弁当箱も買って毎日愛用しています。

    いや~、ミャンマー最高でした!!

    • りんぱぱさん、コメントありがとうございます。

      同じころにミャンマーにいらしたんですか! もしかしたら、どこかですれ違っていたかもしれませんね。しかもひとり旅とは…同世代としてぼくももうちょっとがんばらないといけません。

      ミャンマーはパワフルで人情味あふれるといいますか、ヨーロッパみいたいな危険な雰囲気もなくてステキな国でした。ぼくは梱包用のビニール紐(?)で作ったカゴを買ってきましたよ。

      そして、フォトブックに廃墟ですね(笑) 最近はメジャーな廃墟にはなかなか近寄れない感じになってしまいました。もうちょっと暖かくなったら、またどこか覗きに行こうと思っています。

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